6月23日と9月7日

2009年09月07日

「大西忠保写真展第2弾 金城実 100メートル彫刻「戦争と人間」」
安里正美が唄い、森口豁が語る前夜祭。

6月23日と9月7日

はじめまして。PORCO(ポルコ)といいます。
BAR土の客です。

今回、ごうさんのご指名で
このイベントのレポートを書くことになりました。

突然のことにとまどい、テンパってます。

どこまで伝えることが出来るかわかりませんが、
最後までお付き合いのほどよろしくお願いします。

ーー・ーー・ーー・ーー・ーー・ーー・ーー・ーー・ーー・ーー・ーー

みなさんは、今日9月7日が何の日かご存じですか?

1945年9月7日、越来村森根(現嘉手納基地内)において、米軍と琉球列島守備軍との間で降伏調印式が行われた日です。

実はこの日まで沖縄戦は続いていたのです。

「あれ? 6月23日の慰霊の日が沖縄の終戦記念日じゃないの?」
という人も少なくないかと思います。

6月23日(22日とも言われています)は、第32軍司令官牛島満中将が自決し、日本軍の組織的戦闘が終結した日だと言われています。

琉球政府及び沖縄県は、何故かまだ戦争が続いていた6月23日を「慰霊の日」として制定したのです。

個人的に少なからずこのことを疑問に思っていました。
(恥ずかしながら9月7日については今回のイベントに参加して初めて知りました)
それでも、なんで日本軍の司令官が死んだ日が「慰霊の日」なのか?
そう思いつつ、慰霊の日には黙祷を捧げていました。

僕の疑問は、「誰がこの日に決めたのか?」ということでした。
「日本兵より米兵の方が親切だった」と語るほどに、日本兵を嫌っていたウチナンチュがこの日に決めたのだろうか?
それとも日本国の提案としてこの日に制定しろ、というお達しがあったからなのか?
誰がこの日としたのかが、とても不思議でした。


6月23日と9月7日
今回のイベント、“『大西忠保写真展第2弾 金城実 100メートル彫刻「戦争と人間」』安里正美が唄い、森口豁が語る前夜祭”では、
「〈問題提起〉なぜに「慰霊の日」は6月23日なのか?」というテーマで意見を交えるとのこと。それも彫刻家、金城実さんが平和への願いを込めて制作した100メートルのレリーフを、大西忠保さんがその想いまでも写し撮ったかのように強烈に金城さんのメッセージを伝えてくれる写真の前で語り合うのです。

僕もこのテーマには興味があったので、参加することにしました。

まず、若き金城実さんが巨大レリーフ作品「戦争と人間」を持ち、全国をキャラバンした平和運動を森口豁さんが追ったドキュメント作品を上映(タイトルを失念しました)。
金城さんはいまとおっしゃっていることがまったく変わっていない。考えがブレていない人は強い。いまでもあれだけのパワーとオーラを持っているのは、決して泡盛のせいだけではないハズ(笑)。

6月23日と9月7日
そして、現代の吟遊詩人である安里正美さんが沖縄戦から現代まで続く沖縄の憂いを、切なくも、心に訴えかける声で歌う。ひとつひとつの言葉がカラダに染みこんでいくよう。会場も静まりかえって誰もが唄に集中していました。

そして一部終了後、「〈問題提起〉なぜに「慰霊の日」は6月23日なのか?」についてのディスカッションが始まりました。
ゲストには金城実さんの他、西山正啓さん、平良修さんらが参加されました。

「何か意見はないですか?」という安里さんの問いかけに、僕は兼ねてからの疑問、「誰がこの日に決めたのか?」ということをぶつけてみました。

安里さんや平良修さんがこれについて答えてくれました。どうやら資料などによると、遺族会や行政が決めたことのようなので、やはりウチナンチュが決めたことのようです。何故なのでしょう? 当時の人たちはずっと軍国主義の日本の教育を受けていたからではないか、という意見もありました。

6月23日と9月7日
降伏調印式が行われた9月7日が良いのでは、という意見をぶつけた人はいなかったのか、という疑問も投げかけられましたが、沖縄市がこの日を「沖縄市民平和の日」と定めているように、おそらくはそういった意見もあったのではないかと思います。

それが国の力で抑えられたのか、ウチナンチュが疑問に思っていなかったのか、はたまたすでにその日を心の拠り所としている人たちが多かったからなのか? もちろんここでハッキリとした答えが出るはずもありません。

“この小さな島で、これだけの人数の人が亡くなった、馬鹿げた戦だった”ことをアピールするための摩文仁の「平和の礎」が、靖国神社のようなだんだん違う意味合いのモノになりつつあるという意見も出てきました。

さらには沖縄は被害者という立場だけではなく、ベトナムやイラク、アフガンなどに派兵している基地の存在を許してしまっている加害者という立場でもあるということを忘れてはいけない、などなど続々と新たな問題提起が出てきましたが、この短い時間ではとても話しきれるものではありません。

しかしどの話も、勉強不足の自分には目から鱗が落ちる思いでした。

6月23日と9月7日
慰霊の日は6月23日が良いのか、9月7日が良いのか、それはこれからどんどんと意見をぶつけていくことと思います。

ただ忘れてはいけないのは日にちよりも誰のための慰霊なのか。

そして戦争体験者がどんどんと少なくなっていく現代において、いかに沖縄戦の真実を伝えていくか。

今回のこの小さな集まりが、今後どのように発展していくのか。
何の知識のない方でも、興味ある人はぜひ参加してみてください。
はじめは聞いているだけでも良いと思います。
ここで知る事実や意見から、生まれる何かがあると思います。
そしてその善し悪しを判断するのは自分自身です。

正直なところ、自分もまだまだ消化し切れていません。
すべてを完璧に覚えているわけではないので、間違いもあるかもしれません。
そんなときは、ぜひコメントを入れていただき、補足していただければ幸いです。

だらだらと長い上にまとまりがない文章でしたが、最後までお付き合いありがとうございました。

それからこの機会を作ってくれたゴウさん、BAR土スタッフのみなさん、ありがとうございました。

PORCO


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tsuchi│2009年09月07日 14:35 │コメント(2) │カテゴリ:イベント
この記事へのコメント
   -ごうですー

PORCO さん、ありがとう。
伝えたいことがこのブログの限界の中で、すごく良く伝わってきます。
さすが、物書きプロ、そして、人情家。

すんません。
プロにノーギャラで書かせて。
これからもよろしくお願いいたします。

「最後の一兵までお国のために戦え」と言い残して、自分だけ早々と勝手に自決した牛島満中将の死をもって、6月23日の慰霊の日と決めたのは、琉球立法院だと聞いたように思います。
理由は日本政府の沖縄に出す軍事予算がその日で切れたからという、何ともドライな民衆のことなどお構いなしの国が決めそうな理由だったと、聞いたような......


PORCO さんが書いてくれたように

忘れてはいけないのは日にちよりも誰のための慰霊なのか。

そして戦争体験者がどんどんと少なくなっていく現代において、いかに沖縄戦の真実を伝えていくか。

今回のこの小さな集まりが、今後どのように発展していくのか。
何の知識のない方でも、興味ある人はぜひ参加してみてください。
はじめは聞いているだけでも良いと思います。
ここで知る事実や意見から、生まれる何かがあると思います。
そしてその善し悪しを判断するのは自分自身です。


ぼくも思っています。
重ねて、PORCO さん、ありがとう。
Posted by tsuchi at 2009年09月08日 19:34
>ごうさん

ありがとうございます。

実は、いままで誰からも反応(コメント)がないので、上手く伝えられなかったかな、と下を向いていました。

自分の中でも、まだまだ消化し切れていないので、文章が中途半端でわかりづらかったのかもしれません。

微妙な話題なので、コメントしづらいということもあるかと思いますが。

でも、ごうさんのコメントでちょっと救われました。

これからもいろいろと学ばせていただきたいと思います。

ありがとうございました。
そして、今後ともよろしくお願いします。
Posted by PORCO at 2009年09月08日 23:00
 
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