この夜を作るために、ぼくは生きてきたのかも知れない

2009年08月28日

こんにちは、ごう です。

何年か前、国際通りの向こう側から、唄者の声が突然ぼくの耳を打った。
予定を放棄し、広い道を横切り、ぼくはその唄者の前に座り込み、心を傾けた。
泣くまいとしても、流れ落ちる涙は止まらなかった。

安里正美さんとはそうしてぼくは出会った。



「土」での写真展『裏町の記憶』で初老の紳士に話しかけられた。
話しかけてくれた人は
琉球新報社会部記者や日本テレビの沖縄「特派員」として、米軍統治下の沖縄で
長らく暮らし、沖縄の日本「復帰」後も、ドキュメンタリー番組の制作や著作活動
を通して「沖縄」を報じつづけている、著名な森口豁さんだった。




  それ以降も、沖縄の民間人は殺され続け、司令部が壊滅してもそれを知らされなかった
  兵士たちが抵抗を続け、たくさんの犠牲者出たにもかかわらず、
  日本軍司令官牛島中将が自殺した6月23日を「慰霊の日」としたのか?

  アメリカ軍の沖縄戦終了宣言がなされた7月2日か
  日米両軍の司令官が降伏文書への調印をおこなった9月7日
  のほうが「慰霊の日」にふさわしいのではないか?


そのようなことを安里正美さんが問いかけ、その当時取材しておられた森口豁さんが
背景を語ってくれるはずである。


そして何と!
西山正啓 平良修 平良えつみ 金城実 知花昌一 海勢頭豊 さんたちが参加し
みんなでゆんたくしてくれると言っていただいた。
これらの人々をご存知ないかたはどうかネットで調べてみてほしい。

こんな濃い内容でこんな豪華メンバーの集まる夜はもう二度とやれないかも......
しかも肩のふれあうほどの近さで酒を呑みながらゆんたくできるのです。



入場無料です。
是非「土」に足をお運びください。

こんな夜をつくりたくて、ぼくはギャラリー「土」を作りました。



tsuchi│2009年08月28日 15:09 │コメント(6)
この記事へのコメント
それがいつなの?今日??
Posted by ちず。 at 2009年08月28日 20:10
ちがった、9月5日だった。失礼。



…なぬ?9月5日???


ちょうどその時間は、沖縄テニアン会総会だ…。
こっちはこっちで、私も命はって追っかけてるから外せないわ…。
Posted by ちず。 at 2009年08月28日 20:12
ちずさん
ありがとう。
でも
ざ~んね~ん、むねん。
命はってることと重なるとは………

  ごう
Posted by tsuchitsuchi at 2009年08月28日 20:18
あっ、そうだ。
ちずさん
沖縄テニアン会総会、近くであるんだったら、
ゆんたくは遅くまでやってると思われるので、
総会が終わってから「土」のほうに参加したらいいさぁ。

   ごう
Posted by tsuchitsuchi at 2009年08月28日 20:23
あまりこんな感情にはならないんですが

いつもブログ見させて貰っています

僕自身、歴史に興味はなかったです

でも沖縄に来てお客さんたちは「地元の方」

よく話してくれました、こんな僕に。

今は家族という物もあり何年か前と違う自分と

今の自分が?、、、、、

またごうさんのお言葉を頂ければ

よろしくお願いします、
Posted by 飛松 at 2009年08月30日 01:06
飛松さん
ありがとう。
いっぱい、いろんな沖縄を知って
いっしょに深くなりましょうね。

  ごう
Posted by tsuchitsuchi at 2009年08月30日 23:30
 
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