真夜中 Bar 土 で語られた秘話

2009年02月13日

ほう、お知り合いに聞かれてお出でになったのですか。
ここ常清滝は地元の人でも訪れる人は少ない。
ましてや観光客となると皆無にちかいところです。

そうです、そうです。車は麓まで。そこからの道は
獣道のような道しかありません。難儀でしたか?
そうでしょうね。
あぁ、道に沿って流れる清流は何物にも替えがたい
ものがありますね。
滝の上り道から上は農地もゴルフ場もありませんから
正真正銘澄み切った水です。

手で掬ってお飲みになった。
美味しかったでしょう。冷たくて舌に転がるような
水ですねぇ。
常清滝は三段になってますが、高低差の全長は115
メートルと言われてます。
そうですね。雪解けの時期と梅雨のとき以外の水量は
それほど豊かではありませんが、枯れることはありま
せん。

えぇ、もう私は4~5歳のころから、ここで遊んで
おりました。特に夏の暑い盛りでもここは涼しいです
から、一日中岩魚釣りなどしておりました。
特別な思い出ですか?

そうですね、あれは私が二十歳のときでした。
めくるめくような恋におち、二人でこの滝を訪れ、彼女
が作ってくれたサンドイッチを、ちょうどこの岩に坐って
食べておりました。
青年が一人ゆっくり登ってきて、私たち二人から少し
離れたところでこちらをじっと見て立ち止まったまま
動かなくなりました。
あぁ、この人は彼女を訪ねて来たんだなと、判りました。
「先に帰ろうか?」と訊ねると「居て」と彼女。

二人の声が聞えない場所まで移動し、滝つぼに石を投げ
込んで時間を待ちました。
彼らは声を荒げることもなく、静かに話し合い、やがて
彼だけが背中を見せ、ゆっくり降りて行きました。

残された私たちですか?
そうですねぇ、それから二人で黙ったまま滝の水の落ちる
の眺めていました。随分長く。

「彼は何なんだ?と問わなかったのですか」と。
えぇ、そのことについては、私はその時だけでなく生涯に
わたって、訊ねることはありませんでした。
不倫の関係が続き、別れるに別れられず、私を置くことで
ようやく解消できたのだろうと、その時感じました。
そうであってもなくても、訊ねる意味など無いでしょう。
彼女が彼を呼ばないかぎり、私たちが滝に居ることは、
わからないだろうし、偶然通りかかるような場所ではない
ですから。

私と彼女との出会いですか?
あなたも随分突っ込んだことを聞きますね。
舞台道具で膝を強打して関節炎になり、無理をしたので、
入院する破目になったんですね。
東京の大学に通っていて、親掛かりだったものですから、
郷里の病院に入院させられました。
相部屋で、隣のベッドの男の所に毎日のように見舞いに
訪れる、いつも和服姿で粋な美人がいたんです。
私の枕元にはいっぱいの本が置いてありました。
その中で立原道造の詩集が彼女の眼にとまったらしく
「この本お借りできませんか?」と彼女が聞いてきたので
「どうぞ」
そんな、ちょっとした会話を交わしただけでした。

翌年、歯の治療のために、また郷里に帰りました。
ちょうど入院してた病院の前を通りかかったとき、偶然
彼女と出くわしたのです。
「〇〇くんじゃない!久しぶりねぇ。今私仕事の途中だけど
夜にでも遊びにいらっしゃいよ」
「電話番号も住所も知らないのに遊びには行けないよ」
「あっ、そうか。電話番号教えとくわ」
彼女はメモ用紙に電話番号を書き、私に渡して、自転車で
去って行きました。

夕刻ドキドキしながら、電話したのです。
その電話番号は自宅ではなく、会社の番号でした。
そのころから、既にアル中ハイマー的記憶力の私はあの
いつも和服姿で粋な美人の名前を思い出せませんでした。
勿論呼び出すことは出来ません。
あの時くらい自分の忘れる才能を恨んだことはありませんね。

3日後、歯科医に行きました。隣で女性があんぐり口を開け
治療を受けております。
どんな美人でもこんな姿じゃ台無しだな、と何となく眼を
やっておりますと、な、何と名前を思い出せない例の女性
でありました。
その歯科医の受付には予約のためのノートが置いてあります。
そのノートから彼女の名前を探し出し、すぐに電話をかけ、
その日の内に会い、二人はその日の内に恋におちたのです。

紆余曲折はありましたが、二人はやがて夫婦になりました。
あぁ、いやいや、その紆余曲折を話し出すと今日一日では
とても語り尽くせません。

それで、何で、今、私が一人でここに居るのか疑問ですか?
結婚して後、私の女出入りが激しく喧嘩が絶えなくなりました。
気分を変えるためにと、出会った初めのころの思い出の場所に
行きたいと、彼女の提案でこの滝を二人で再び訪れました。
そして、滝を眺めてる私の後ろから彼女が刺身包丁で私の背中を一突き。

それ以来、私は滝つぼの水の中で一人、暮らしているのです。

いやいや、恨みなど少しも有りません。
澄んだ水の中から眺める光はとても美しいし、時折あなたの
ように、ここを訪れ、話相手になっていただく方もあるので
退屈もしないですみます。




tsuchi│2009年02月13日 18:11 │コメント(4)
この記事へのコメント
塞翁が馬といった所でしょうか…。

人生は思ったよりもドラマチックですよね。気付かないうちに「私」のような経験を持った人がBar 土や自分のそばを通り過ぎたり、もしくはその主役が自分だったりするんでしょうね。
Posted by SONAE at 2009年02月13日 19:44
SONAE さん

そうですね、実人生小説より奇なり
かもですね......

Bar 土 には味わい深いお客さまがいっぱいです。

若くて好奇心いっぱいの人
素敵に年を重ねていってる人
その人その人の中に、それぞれの秘話があることでしょうね。
Posted by tsuchitsuchi at 2009年02月14日 11:29
このお話は傍で話を聞いているような
不思議な感じがあって
何度聞いても引き込まれてしまうのです。

それぞれに若き日があって
今こうしてそれなりに笑って生きていること・・・
不思議でもあり、哀しくもあり、
人生って、なんだか不思議だらけですね。
Posted by kamome at 2009年02月14日 12:23
kamome さん

不思議
ありがとうございます。

映画って
人生って
小説って
Bar 土 って  ん?
         面白いですねぇ......
Posted by tsuchitsuchi at 2009年02月14日 15:15
 
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